▼サイト内検索  powered by Google 
line
line
 Home › 独歩も愛した城山
食べる
歩く
登る
泊まる
湯
見る 泳ぐ
佐伯へのアクセス
さいきの旅
レンタサイクル
さいき市観光ガイドの会
観光協会会員一覧
すぶろぐ
お天気・干満情報
space
城山
space
歴史を語る「城山」
space
佐伯市街のほぼ中央、標高142mにシイの木で覆われている「城山」があります。
佐伯城は、慶長11年(1606)日田の隈城から移封された毛利高政によって築かれました。天守閣は、築城後ほどなく火災によって消失、わずかに残った隈櫓・土塀なども廃藩置県の際に取り壊され、今日では三の丸に櫓門(やぐらもん)、山頂に石垣が残るだけとなっています。山頂から佐伯市街・番匠川・豊後水道の素晴らしい眺めが一望できます。
櫓門
櫓門(県文化財指定)

城山のシイはコジイと呼ばれる実の小型で丸い種類です。コジイは西日本の低山地を代表する林で、明治の文豪国木田独歩は「大木暗く繁った山であまり高くはないが甚だ風景に富んでいました」と記し、「余が初めて佐伯に入るや先ずこの山に心動き、余巳に佐伯を去るも眼底其の景容を拭い去る能わず、この山なくば余には殆んど佐伯なきなり。」とさらに記しています。佐伯市民にとっても城山は、今なお心のより所であり、シンボルです。

城山頂上までの道のりには、独歩碑の道、登城の道、翠明の道、若宮の道と、4つの登山道があり、それぞれ四季折々の風景が楽しめます。山頂からは、遠く四国の山々まで眺望でき、登る人が後をたちません。

space
国木田独歩と佐伯
space
明治26年(1893年)、佐伯町鶴谷学館教師として、弟と共に来佐した国木田独歩(くにきだどっぽ)。後に明治を代表する文豪として評される人物です。佐伯滞在はわずかに1年足らずでしたが、尺間山、彦山、元越山(もとごえさん)などの山々に登りました。なかでも彼が最も愛し、何度も登ったのが城山でした。その様子が、彼の日記「欺かざるの記」にくわしく記されています。山頂には「独歩の碑」建てられています。

国木田独歩館
国木田独歩館(主屋1階)
佐伯滞在の経験は、後に彼が表す作品に大きな影響を与えることとなり、「春の鳥」「源おぢ」「鹿狩」など、佐伯を舞台とする作品として結実しました。
国木田独歩の足跡を残し伝えるため、彼が弟の収二が下宿した坂本邸を修復し、「国木田独歩館」として公開しています。展示は大きく主屋と土蔵に分かれ、それぞれに1階・2階をご覧いただけます。明治の文豪が若き時を過ごした佐伯の日々に思いをはせるひとときを、どうぞごゆっくりお過ごしください。
space
佐伯城跡 登山道入り口 櫓門
佐伯城跡 登山道入口 櫓 門
space
space
歴史と文学の道
space
歴史と文学の道
歴史と文学の道(大手門跡)
大手門跡(佐伯市大手前)から毛利家の菩提寺である養賢寺までの、山際通りを含むおよそ700mは、昭和61年(1986年)に建設省(現在の国土交通省)により「日本の道100選」に選定されました。佐伯市は「佐伯市歴史的環境保存条例」をもって「歴史的環境保存区」に指定、整備・助成をしています。

城山を背景に、どっしりと構えた櫓門(やぐらもん)。三の丸御殿の正門として寛永14年(1638)に創建された櫓門は、江戸時代の城郭建築を色濃く残す、歴史的建造物です。
文学者であり政治家であり、ジャーナリストとしても活躍した矢野龍渓(本名 矢野文雄・1850-1931)の生家跡。今では佐伯小学校の敷地の片隅に、「藩主より賜った先祖の地を佐伯小学校に贈る」との意の石碑が残るのみとなっています。
独歩の作品にも描かれている「安井(あんせい)」は、八代藩主の毛利高標に仕えていた藩医・今泉元甫(げんぽ)が、飲み水に困っていた庶民のために、私財を投じて掘った井戸の一つです。
旧藩主毛利家の菩提寺養賢寺は、白壁に風格のある本堂が特徴的です。本堂の裏には、毛利家歴代藩主たちの見事な五輪塔があります。静寂に包まれた山際通りは、矢野龍渓生家跡や、独歩が寄寓していた坂本邸(現・国木田独歩館)などが建ち並び、昔日の面影を残す、文字通り「歴史と文学の道」です。歴史と文学の道での散策を楽しんだら、「茶室 汲心亭」でお茶を飲みながら、はるかな時を偲んでみてはいかがでしょうか。
space
佐伯城跡 登山道入り口 櫓門
国木田独歩館(主屋2階) 矢野龍渓生家跡 養賢寺
space
城下町さいき散策マップ
space
space
 
space
佐伯市観光協会 0972-23-1101
Copyright© 2007-2011 大分県佐伯市観光協会,  All Rights Reserved. 
お問い合わせ